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地球と社会に優しいアパレル工房『ひみつのおしゃれ工房』

2018年に設立された『ひみつのおしゃれ工房』は地域に根ざし”サスティナブル&エシカル ” “地域住民のコミュニティ” “地産地消”の3つを掲げる地球と社会に優しいアパレル工房。今回は『ひみつのおしゃれ工房』の代表、佐々木さんにお話を伺いました。

『ひみつのおしゃれ工房』について教えてください。

当工房は元々サンプル縫製工房としてスタートし、2015年9月に独立しました。

様々なブランドの展示会やファッションショーなどで使用するお洋服や、CM、アーティストの衣装なども製作してきました。今は50枚くらいまでの小口の量産も行っています。

始めた頃は自宅に仕事部屋がありましたが、機械が増えて手狭になったことと、2人目の子供が産まれてホコリが気になり始めて、2018年に今の場所へ引っ越しました。
引っ越しと同時期に、それまでときどきお友達などに手伝ってもらってテストを行ってきた『ひみつのおしゃれ工房』の構想をスタートさせることにしました。

『ひみつのおしゃれ工房』は、地域にお住まいの子育て、介護、障害、病気など様々な理由で外で働くことが難しい方々に内職をお願いして洋服の生産をしています。

服作りの工程の中には、同じ長さにゴムを切る、ボタンをつける、タグをつける、糸を切るなどシンプルなお仕事が色々あります。シンプルでも一着につき5か所、それが30着だと150か所になります。そういったお仕事をみんなでシェアして洋服や小物の生産を進めていきます。

しかし、そういった方々とお仕事をするためには、事情によって急にお仕事ができなくなったり、色々な問題の発生に備えてスケジュールに余裕を持たせる必要がありました。そこで、自分の工房からの仕事でスケジュール調整をするためにリメイクファブリックの開発、生産も始めました。

地域のために活動している団体さんなどに古着を集めていただいて、それを内職の皆さんと小さく切ったり、編んだり縫い合わせたりして新しい生地を作っています。

このように地域の様々な方々のお力を借りて、みんなでつくりあげている工房です。

『ひみつのおしゃれ工房』を始めたきっかけは?

もともと初めの目標は「洋服を通して人の役に立つ」ということでした。

今も最終的な目標は変わっていません。

初めは人にメッセージを伝えられそうな衣装デザインに関心があり、専門学校卒業後にハリウッドのあるロサンゼルスに語学留学しました。

そこで日本では見ることのなかった貧富の差を目の当たりにして衝撃を受け、本当に人のためにと思うのなら、もっと地に足をつけて根っこのほうから社会問題を考える活動をしたほうがいい、と考え方が変わりました。

その後、都内のサンプル縫製工場に就職し縫製の技術を学び、上海にある工場に1年間駐在させていただきました。

そこで現地の人たちが低賃金、長時間の劣悪な環境で、日本人の服を毎日一生懸命縫っている光景を見てまた衝撃を受けました。ほとんどの人が中学卒業後すぐ働き始めていて、田舎に5歳の子供を預けて移動に2日かかる上海に夫婦で出稼ぎに来ていて、子供に会えるのは年に2回の大型連休だけという人もいました。

当時は日本人の衣類の90%が中国で作られていました。「洋服を通して人の役に立つ」ということが私の目標なのに、今の社会では洋服を作ることは人を苦しめることになってしまっていると知りました。

さらに、彼らが苦労して縫った服は日本で安価に販売され、私たちは簡単に捨ててしまいます。

私はその現実が悲しくて、不利な条件で海外の人たちに自分たちのものを作らせるのはよくない、と考えるようになりました。

そして、捨てられてしまう洋服についてもっと知るために、会社を辞めてリサイクル古着屋でアルバイトをしながらこの工房の構想を考え始めました。

また子供の頃からずっと、地元にある子供のための活動をしているNPO団体に入っていて、地域の様々な方とお話する機会がありました。

働きたいけど小さい子供がいて働きに出れないママのお話、障害者の団体の代表の方からは障害者の就労支援がなぜかクッキーづくりばかりでおかしいというお話、障害の種類によっては色々な工程を覚えるのは難しいけれど、同じことをずっと繰り返すことにすごい集中力を発揮する方がいるというお話、そういった地域の様々な方とお話をするなかで『ひみつのおしゃれ工房』の形ができました。

服飾の仕事をしようと思ったのはいつ頃ですか?

小学4年生の時に「和枝」という名前には「平和を枝の様に広げる人」という意味があると担任の先生に教えてもらい、そのことをとても気に入り、そういう人になりたいと思っていました。初めはユニセフのようなところで働くのがいいのかな?と考えていましたが、そのためにはどうしたらよいのかを考えていた小学5年生の時、テレビで有名アーティストが大きなチャリティーイベントを行っているのを見て、「どんなことでも好きなことを極めれば人の役に立つことができるんだ!」と思い、その頃はまり始めていたファッションを極めて人の役に立つ人間になりたいと考えたのが始まりです。

それからは洋服の絵を描いたり、ミシンで自分の服を作ったり一生懸命やっていたと思います。

一刻も早く色々なことを覚えたかったので、中学卒業後すぐに専門学校に行きました。おかげでその後留学したり、様々なことを体験したり、いろんな人に会う時間を得られたので良かったと思っています。

それとは別に、留学から帰国後工房の構想の種ができてからは、地元に住み続けることにもこだわりました。私の住んでいる千葉県四街道市は住宅街と畑の多い普通のまちです。ですが、地に足をつけた活動を考えるためには最適な場所だと思い、就職した会社まで電車で2時間近くかかりましたが、なるべく地元に住んでいろんな人と話そうと考えていました。

今は夫の理解もあってその地元に家を買って、今はすっかり根を下ろして暮らしています。

今後やってみたいことや夢を教えてください。

まだまだ始まったばかりなのでやりたいことだらけなのですが…。

去年大きな病気をしてしまい、6歳と2歳になったばかりの息子たちを残して半年間も入院してしまいました。神経が壊れる病気で、両手両足の先に小さな障害が残ってしまいました。ほぼ回復したのですが、まだ手先の細かい仕事を手速くこなすのが難しく、いつかやろうと思って準備していた古着屋を、急遽去年の12月に工房の隣の部屋にオープンすることにしました。オンラインショップも作り始めたのでこのお店を軌道に乗せて、古着を受け入れられる体制を整え、古着を寄付してくださる地元の団体さんを増やしたいです。古着の数が増えればリサイクルファブリックの色や素材を細かく選べるようになるので、クオリティーがワンランク上がるのかな?と考えています。

それからリサイクル古着屋でアルバイトをしている頃友人に、回収した古着でパキスタンのスラムにある学校を支援しているNPO法人JFSAという団体を紹介してもらいました。ちょうどその頃に、支援している学校の中に女性や学校の卒業生が安全に働ける縫製工房を作ろうという計画があって、その工房の技術指導のために数回パキスタンに行かせてもらいました。現地で働く女性たちの大変な暮らしを知り、海外にフェアな条件でお仕事を依頼するフェアトレードによる洋服の生産にも興味を持っています。いつかそういった商品が開発出来たらうれしいなと思っています。

また、衣食住という言葉がありますが、「食」はコックさん「住」は大工さんが作っているとみんな知っているのに、「衣」だけ誰がどうやって作っているのか知られていないなと思います。

洋服屋さんで店員さんとお話しして「洋服作ってるんですか!?私洋服って機械が作ってると思っていました!」と言われたことが何度もあります。洋服がどのように作られているのかを人に伝えていくことで、洋服を簡単に捨てる人が減っていくのではないかと考えています。

最終的な目標は、もう少し大きな場所に引っ越して、工房、古着屋、カフェが一緒になり、みんなが集って悩みを相談し合えるような場所を作りたいです。私も子育てをしているし、病気も抱えて働き方に悩みがあります。それぞれの方の事情に合った条件で安定的なお仕事を提供して、みなさんに「この仕事をして良かった」と思ってもらえるような環境を作っていきたいです。


今回は新型コロナウイルス感染拡大防止のためメールでインタビューにお答えいただきました。本来は工房にお伺いしてお話を聞きたかったのですが、メールでのやり取りのみとなってしまいました。丁寧にご回答いただき本当にありがとうございました!

アンテナ編集部

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